melancholy youth

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la valigia

青山吉能さんにハマってしまっている。。。。

当ブログの最近のポストやツイ等を見てくれている方々には周知の事実かもしれないが、1個のアニメ(つまりはぼっち・ざ・ろっく!)の影響力というのが如何に自分に何かを及ぼすものか、というものをこの数ヶ月でまざまざと教え込まれてしまった。これまでアイドルとか声優のイベントに行くことすらそこまで興味を示していなかったのに。寧ろそういうものとは無縁だと思っていたのに。。。いやアニメは普段から観ているし、そのアニメに纏わるラジオも全てでは無いが時に聞いていたこともあった。それでも個々人の活動まで注視しそうになるなんて自分でも予想していなかった事態。先日もぼっちの公録イベントが当たったので観に行った。"です。"は落ちてしまったので配信で観ていたが。

推し…とでも呼んでいいのだろうか、周りがアイドルや声優にハマっていく様をSNS等で見かけていたもののその気持ちへの理解が全然無かったわけだが、何となく分かってしまったような、いやまだ分からないような、そんな心地でいる。

ぼっちのラジオや個人の配信番組等の話してるその内容の面白さとか、トークの明け透けにドカドカと入り込んでくる感じだとか、ファン(オタク)からの配信のコメントに分け隔てなく接している部分だとかに惹かれてしまったのだが、いやでもこれは、この気持ちは、なんだ...。うーん。。。まだよく分からない。とか言いつつ発売記念のインストアイベントに行って何も言えずに帰ってきたりとオタク化が加速しているのも事実...。




まあそんなわけで、あまりにもタイミングよくソロアルバムが発売されたというので、勢いで買ってしまったんですよね。限定盤が幾つか出てたわけですが、取り敢えずアニメイト盤を注文しました。上記のイベントというのはこのアルバムのイベントだったわけで。
そうしてキャラソンやサントラは幾つかあれど初めて声優さんのアルバムを手に取ることとなったわけだが、その"声優のアルバム"という文脈が自分の中に無さ過ぎて、どう捉えれば良いものか...というのが分からなかったので、取り敢えず書き殴って頭の中を整理していこうと思う。
あくまでこれまでの活動を知らない、本当にぼっちきっかけで知った人間の戯言なので、全貌を把握するなんて出来るわけではないが大目に見ていただければ幸いでござい。幾つかの文献・インタビューも引用しているので当然内容被りもあります。



青山さんが声優として何かしらの作品というものに関わって10年、キャラクターを通しての楽曲やユニットとしての音源は数あれど遂に個人としてのソロアルバムとなる本作。昨年から配信リリースされている楽曲を含む10曲、そしてボーナストラックとなる1曲を含む11曲がCDには収録されている。

関わっている業界の関係上、タイアップありきで楽曲が制作されてそれが作品のOP/EDに起用されるなんてことは良くあることだが、今回のアルバムやそれ以前のシングルはそういった何かを含まず、囚われることなく本人の意思を尊重した純粋に作られたアルバム。
本人の意思という部分で言うと、今回のアルバムの楽曲のチョイスも本人の手によるもの。スタッフと共に150曲以上(!)あったデモ音源の中からあーでもないこーでもないと選抜した10曲らしい。そしてその曲順も本人が手掛け、その上本人による作詞の楽曲も共作を含む3曲が収録されている。

そういった本人の趣味・歌ってみたいジャンルの曲が詰め込まれたというアルバムはバラエティに富んだ曲幅の広いものとなった。何か1つが突き抜ける、だとかそれに引っ張られる形で全体が形成されるというわけではなく、それぞれの楽曲が単体でも強いようなアプローチが仕組まれている。様々な視点、様々な色が付けられた楽曲群は本人のコロコロと変わる性格ともリンクしている内容で、それぞれの楽曲に合わせて歌声や発声が変わってしまうのもそういう仕事をしているからだとかではなく意図的/自然に変換しているらしい。軽やかに歌い上げたり、時に囁き、冷たく放すような声も飛び出す。と、まあ1曲1曲が強すぎるが故に最初は面食らってしまったわけだが、紐解いていくうちに段々と自身の側面に沿った対比が楽曲間でも繰り広げられているものだと理解出来てきた。


楽曲についても少しずつ掻い摘んでみよう。

キラッと爽やかなテイストから幕が開く。テイストとかアレンジから(主にそのテンポ感やギターのフレーズから)何処となく星野源のことが脳裏に浮かんできたが、"SUN"的なとこからのインスパイアだろうか。。。若干カクバリズム的なアプローチを感じるナンバー。


昨年の7月にリリースされたシングル。夏に入り込む時期となる前の、梅雨から段々と蒸すような空気を感じさせるようなほんのりとセンチメンタルな1曲。あくまで夏の終わりの寂しげではないというのがミソ。例えばamazarashiの"爆弾のつくり方"や、n-buna氏の"花と水飴、最終電車"辺りにも通ずる大人になってからの夏の描写というより、幼少期~10代の頃の記憶の断片を紡ぐような歌詞とサウンド。フォークや歌謡曲、演歌にしても昔から季節の流れや彩りを歌に変換するものは多数あったけれど、ボカロ・歌い手の楽曲においてもその"しょっぱさ"というのは滲み出てくるわけで、そういう世代の音楽に触れていた青山さんらしいテイストをも感じさせる。


打って変わって打ち込みの楽曲へとシフト。ポエトリーライクな語りから入る"moshi moshi"は初期春ねむりっぽさ(歌われる内容はレベルミュージックのそれとは全く違うが)を感じさせたり、途中のSEの変化と共に時間経過を感じさせるような歌詞(もしもし...? → もしもし。→ ...さよなら。)、サウンドエフェクト等、青山さんの"声"を生かすようなアプローチによる楽曲。こちらは青山さんが共作で歌詞を書いている。


軽やかなカッティングギターと共に進んでいく岡村ちゃん風味すら感じさせるシンセポップ。そしてシティポップっぽさ…というものが何なのかという話にはなるが、レトロな空気を持ちながらハイブリッド感のあるサウンド。間奏のシンセリードソロは家電量販店やら食料品コーナー、はたまたホームセンターのBGMかという具合の音色で、出向いた先で流れていたものを意識したようなアレンジがまた懐かしさだとかそれに近い親和性を乗せていく。


ぼざろ放映時にリリースとなった3曲目の配信シングル。かくある僕個人も初めて触れた1曲。1番ソロとしての認識を深めた楽曲だろうか。自分への不信感、または迷いをテーマとした楽曲。道を踏み外すことや、そのレールが正しいものなのかという不安要素をしっとりと仕上げるサウンド
"moshi moshi"にしてもそうだが、バッキバキのサウンドでぶち上げるわけではなく、ダークで個人的な内容の曲で踊らせるというのはクラブミュージックとしても普遍的な内容でもあり、そういう部分で偶発的にリンクしていくのも面白い。


ここでさらにメロウに流れ込む1曲。例えとして正しいのかは分からないが、サスペンスドラマのエンディングで流れていそうな(あとはコナンにおける倉木麻衣ソングとか…)バラードのテイストを感じる。悲惨な事件や人間関係の縺れみたいなものを描いた作品にそっと寄り添う、少しの救いを感じさせる楽曲にも通ずるようなサウンド。歌詞に於いても"抱きしめて"だとか、直接的に何かを求めている表現を綴ることによりその印象を濃くさせる。


ジャズ風味のスウィングするサウンドによる"Sweetly Lullaby"。個人的には"まちカドまぞく"のOPだとか同様のアプローチの楽曲が脳裏に浮かんでくる。本人も元々こういうアレンジの曲が結構好きだったと他の場でも話していただけあり、しっとりとしながら軽やかに楽しげな雰囲気が全体を覆う中で合わせるように間奏におけるスキャットパート等小気味良く歌われていく。


更にアップテンポはギアを上げる。大団円のようなカーテンコールライクなイントロから軽快なサウンドに流れ込む"STEP&CLAP"。唯一ライブを意識したからこそのノリ方の1番分かりやすい楽曲。一緒に手拍子したり身体揺らしながら聴いて欲しい、との本人の談。


そして今回の白眉となるであろう"透明人間"。偶然というか必然的に別作品でも関わるという同タイミングでの樋口愛(ヒグチアイ)氏による作詞作曲のものだが、1番青山さん本人の心情を打ち出した楽曲となった。
仕事でも、普段の生活でもどうとにでもなれる本人故にその自分自身が何色なのか、という疑問が降りかかってくる。人によってその返答は違うものが返ってくるが、どれもが青山吉能本人に当てはまることで視点によって見え方は違うのだと理解していく。自身の認識をグッと込めた感情に乗せた力強くも脆いロックバラード。


本編ラストはソロデビューシングル。青山さん自身による作詞の1曲。これまでの自分から更に羽ばたいていく、という想いを込めた詞を爽やかに彩るサウンド。新たな1歩を踏み出すのはやはり不安もあるけれど、それでも尚進んでいくんだという意思表示が窺える。



ボーナストラックである"たび"。本人が初めてソロライブを行った際にお披露目となった楽曲でこちらも青山さんによる作詞のもの。"Page"にしても既に今回のアルバムに於けるテーマが固まっていたと捉えても過言ではないというか、その"旅"という発想は最初から本人の中にあったものなんだなと理解出来る。ファンに向けた手紙でもあり、自分の道筋を覚悟をもって決めていくという歌詞に強い想いを感じさせる。
当然だがサブスクはおろか、ネット上では聴くことが出来ないので是非盤を手に取ってもらえればと思う。




全体(特に後半3曲で)を通してその半生を思い返すような部分が散りばめられている。1曲ずつに於いても触れているがそれぞれの楽曲から薫る懐かしさ、ノスタルジーを擽る部分というのは文字通りその"アルバム"を読み返すようなもので、記憶や断片を思い出しながら紐解いていく。

今回のタイトルはイタリア語で"スーツケース"という意味。よく人生は旅に例えられているが、このアルバムは前述の通り自分自身の振り返りや、過去の様々な側面を閉じ込めたものとなる。本人の持つそのネガティブさ、良い意味での捻くれ、お調子者に見せ掛ける冷静な部分...当然誰しもが良い面だけ存在するわけではないし、何かを抱えて生きている人ばかりだろう。でもそういう部分からは目を逸らしたくなってしまったり、意識しないで触れていたいと思うもの。そんな彼女のその感情の大きな起伏が詰まったアルバムに触れてしまったが故に、知ったばかりのこちらとしては思わず参ってしまいそうになったのかもしれない。面食らったというのはそういうことなんだと思う。今後彼女の活動に触れていく度にその理解が多少なり深まっていくように、このアルバムに於いても時間をかけて触れていくべきなのかもしれないと感じた。




余談だが今回のアルバム及びこれまでの配信シングルはテイチク内のレーベルImperial Recordsからリリースされている。個人的にテイチクというと、Last Days of Aprilスウェーデンノルウェー等北欧のエモ/インディーロック/パンク関連のバンドの日本盤をリリースしていたり、VELTPUNCHのアルバムをリリースしていたという印象がある。勿論それだけではなく多数のアーティストを輩出しているレコード会社だ。




今回のリフレインとなった記事です。

青山吉能×ヒグチアイ対談|シンパシーから生まれた楽曲「透明人間」の魅力とは - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
なぜ、青山吉能はファンへ目標を発信しないのか/1stアルバムインタビュー | アニメイトタイムズ