melancholy youth

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光の中へ




先日の結束バンドライブ -恒星-を君は観たか。
もう既に配信アーカイブ期間も終了している訳だが、僕個人も現地チケットを取れず配信で観る事となった。今まで公開されている楽曲全てを披露する贅沢な2時間だったと思う。色々とハイライトはあったがやはり劇中演出の再現のアレンジはテンションを上げさせられる。白眉はアンコール1曲目の"転がる岩"だろう。ぼっち役の青山吉能さんによるギター弾き語りでのそれは、今まで演じ手として≒だった本人がもう後藤ひとりそのものなんだという証明を見せつけられた。もう何回この人に泣かせられるのだろう...。

そんな色濃く残ったライブの中披露された2つの新曲、それが今回リリースされた"光の中へ"の楽曲群だ。ライブ終了後数時間後に配信、その週の水曜にはCDとしてもリリースとなった。ということで以前のアルバムの考察に続き今回も個人的なアレコレを書き綴ろうと思う。例によって勢い多め、個人的主観強めのソレとなることご留意下さい。あとそれぞれの引用が合ってるかどうかの保証は無いのでそちらもよしのに。



1. 光の中へ


イントロからワクワクさせるようなアプローチから咳を切ったようにアップテンポでキャッチーなサウンドへと進んでいく。なんでジャケのぼっちチャイナ服着てるんだ...?なんて思っていたけど、イントロが進んだ後のチャイナ〜という感じのフレージングが飛び出してきて納得してしまった。揺れ動くギターと四つ打ちから縦横無尽に展開するリズム隊、フッと音切れのとこからまた花開くような展開と、何処を切り取ってもその輝きが止まらない。
Aメロの途中ジャーンと鳴らしてからスライドするリードギターから始まるは8話の"このままじゃ嫌だ!"と掻き鳴らすぼっちのギターソロアレンジのオマージュ。アニメ本編で制作していたそのフレーズを新たに楽曲にも取り入れ直すというニクい演出。2番Aメロではダブ・レゲエのようなドッパッドッパッのリズムで展開したりこれまでに無いアプローチも入れ込んでいく。

(その2番Aメロ終わり以降の展開、歌入り前のギターのフレーズが何処かくだらない1日のアメフト部を彷彿とさせるのは気のせいだろうか...。偶然なんだろうがこんなとこでリンクしてしまうのかなんて思っていた。)


ラスサビ後半の全員のコーラスワークが映えるパートは初の結束バンド全員によるコーラスとのこと。青春コンプレックスの後半でもコーラスが映えるアレンジになっていたわけだが、その時に参加していなかった面々含む構成となっている。

Aメロの数式で紐解く自分とバンドとのリンク、爪弾き(つまはじき・つまびき)のような同じ言葉でも違う読みで進行する言葉遊び等今までとは違う歌詞のアレンジ...ぼっち自身自分でもまだ気づいてないことかもしれないが、思っている以上に前向きになっているのが歌詞から見て取れる。バンドをやってみたい、それでも自らの殻を破くことすら出来なかった過去から結束バンドを通して鳴らす音に純粋な喜びを感じている。まだ不安要素は拭い切れていないけれど、それでもこのバンドならやっていけるんだ...!という自信と信頼のような向きがある。納得するものじゃ無いとモチベーションも続かないだろうが、これが"本当に好きな音"とあるように現状の結束バンドがぼっちにとって居心地の良いものなんだなというのが窺えてくるし、そしてそれは他のメンバーにとってもそうであろう。ただこれがいつまでも続くものじゃ無いと分かってる ("星座になれたら"に於いてもそういう歌詞の描写があった)、それでも今は自分らしさを失わずにひたむきに歌詞を書いてギターを鳴らして、そしてもっとこのバンドを良いものにしたいという想いが溢れ出ている。今まで目を背けていたその光の中へと自ら飛び込んでいく...。

そんな今回の作詞作曲はSAKANAMONの藤森元生さんによるもの。そう聞くと確かにイントロのチャイナ〜なギターも歌詞の数式や少し捻くれた節回しというのがSAKANAMONの音楽性とのリンクを感じさせる。

アルバムにしてもそうだったのだが制作陣のチョイスというのが絶妙に自らの世代というか、2008~2015年辺りに所謂邦楽ロックに触れていた層にどうしてもツボを突いてくるような采配だと思う。


本人たちによるオリジナル版も公開となった。テクニカルフレーズや4つ打ちを抑えた編曲前のデモに近いアレンジをそのまま採用したもの。編曲による変化とそのものを作り上げるオリジネーターとの対比を味わえる。



2. 青い春と西の空


それぞれのパートが単体で鳴るフレーズからドラムを伴い軽やかに進行していく。パンチは抑え目にしながら段々とポップなテイストが現れる。爽やかな風が吹き抜ける中鮮やかに広がっていくサウンド。これは虹夏のドラムによって固まっていくというアレンジによるもの。バンマスであるところの虹夏を軸とした楽曲ということもあってか、サビのドラムパターンやサビ後半のギターの進行は"なにが悪い"を彷彿とさせ、ラスサビ冒頭のドラムは"星座になれたら"ともリンクさせる。
ちなみにイントロ・アウトロにてトライアングルを用いた理由についての文言があったがこの発想はリョウ先輩とリンクし過ぎていて笑ってしまった。

歌詞は9話の江ノ島エスカーをモチーフとしたもの。帰路の道すがらに思うことをしたためた1曲で、ぼっちの(良くも悪くも)一夏の思い出となった4人で出掛けた日の記録を綴る。バンドとしては結束してきた部分はありながらもそれとの対比というか、まだこういうイベントごとに対して若干引目を感じながらもそれでも内心は楽しみたい...!と思っている心情が伝わってくる。"光の中へ"にしてもそうだが、キラキラの部分に当てられる、というのを"食らう (喰らう)"と表現していたり、ポエトリーな部分が更に自然に入り込んでいるように思う。
今回の1つの旅行にしてもまだまだ自分の視野の狭さに愕然としながら、それでも行動範囲が広がっていって段々と見える景色が変わっていくというぼっちの心情変化を鮮やかに描いた1曲。


引用元...ではないにせよ、イントロを聴いていてcabsの"Your eyes have all the answer"やcinema staffの"日記"のことを彷彿とさせられた。別所にも書いていたがどうやら三井さんは結束バンド楽曲の編曲時にcinema staffの楽曲を参考にしていたことがあるらしい。


(タイトルはPenfoldの7inchからの引用だったりする。österreichの"きみを連れていく"にしてもそうだが高橋國光氏はPenfoldやブログのタイトルだったOnly If You Call Me Jonathan等エモバンドからの影響を色濃く残しているように思う。)


(こっちはこっちでギターのフレーズやドラムパターンはtoeの"グッドバイ"オマージュだったりする。)

全体的な空気感としてはやはりGalileo Galileiの"青い栞"を思い出してしまう。



今回の2曲はアルバムから溢れた楽曲ではなく、アルバム制作以降に新たに書き下ろされたもの。その反応の大きさを受けてのものとなる。アプローチの広がり、それぞれにも記載したがかつての楽曲やアレンジの引用等、時系列を感じさせる部分もあり結束バンドとしての変化も感じられるものとなった。アルバムではアグレッシブだったりキャッチーな部分も諸所にあったが、重心がズシンと来るアレンジの楽曲が多くあり、ぼっちのネガティブを打ち出すものが軸だった。そこから一歩離れまた歩みを続ける"光の中へ"と、思い出を灰色に染め切らず鮮明な記憶として残す"青い春と西の空"とこの音源は変化の兆しの中にある彼女らを捉えた1作となるであろう。そのモチーフとなっているアジカンらしさみたいな部分からの乖離もこの2曲から感じ取れる。
にしてもアニメや原作とは別軸で新しい楽曲が制作されるなんて思いもしなかった訳だが、こういう部分でもまた楽しみを膨らませてくれる制作陣には頭が上がらない。これから先更に新しいものは聴けるのか...どうなってしまうんだ、ねえ。期待していいんですかね...? 一先ずは来年の総集編を待ちわびながらこの2曲とアルバムを共に。


三井律郎と岡村弦が語る、結束バンドの音楽 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)