melancholy youth

since 2016.6

結束バンド



(上手く笑えてないの可愛いですね...。)



あんだけ熱く語ってるんだからこれもちゃんと思いの丈をぶちまけるだろ、ということで...。結束バンドのアルバムについても感想をしたためようかなと。
1曲ずつのお気持ちとか感想・考察を書き殴っていきます。例によって勢い多めなので参考になるかは分かりませんが、その時にしか書けない言葉とかもあるのかなと...。後程多少の添削修正はすると思いますがなるべくままで書き切ろうと思います。そして他のレビューやらインタビューを読んでしまうと引っ張られると思うのでなるべくそこは避けて書いています。それでも多少の引用があったり、また見当違いもあるやもしれませんが、オタクの戯言なのでそこはすいません...。プレーヤーならもう少し細かい解析やコード、チューニングの説明も出来るのでしょうが、僕は楽器をほとんどやらない人間なので省いています。パッと聞きの印象みたいなものはお伝えしていきますが。

前々回の全体に対する考察やらなんやらでも公開されているものは書いてはいたのですが、あくまでTVサイズの音源を聴いたに過ぎないもの、ないしはYoutubeでも公式に視聴可能なもののみを取り上げたので、今回ようやく全ての楽曲がフルサイズで公開されたということでまた印象が変わってくるのかなと。
こちらも元のアニメーションのネタバレを若干含みますのでもしまだ未視聴の方がおりましたらご留意下さい。

それでは、


1. 青春コンプレックス



10月リリースのシングル曲且つオープニングテーマである1曲。アルバムでも当然の様に1曲目を飾る。シンプルなビートから入りながらも歌入り後の展開はこねくり回し練られるアレンジングに変化。鼓動の様なサビ入り前のバスドラムでグッと引っ張っていく。メロディは明朗なものではないが四つ打ちビートを主としたアップテンポのサウンドに体を揺らしてしまう。
ラスサビの2度のオクターブ変更で展開するのはあまりにも出来上がり過ぎて驚いてしまった。それに呼応する様にバンド全体の熱が上がりバーンと広がっていく。"かき鳴らせ、雷鳴を"の全員でのコーラスワークが映える。そのコーラスの裏で薄らとファーン、ファーンと鳴っているノイズみたいな音がキラキラと響く。パッと聞きは分からないが、影響下であるところのアジカン的要素が含まれているのも大切な要素。サビの歌詞の詰め込み部分や、終わりのダッダッ、ダッダッ、ダッダッの連打からインスパイアが窺える。

ギターの歪みや音色を"雷鳴"と言っていたり、エフェクターから引き出されるサウンドノイズを"光のファズ"と表現していたりと何処かハードロック・メタル調というかぼっちがギターヒーローという名で動画を上げていただけあり、ギタリストの性っぽい部分が節々に感じさせる歌詞。"猫背のまま、虎になりたいから"って表現はありそうでなかったなと。眠れる獅子、つまりぼっちが眠りから目覚めると言ったところか。
バンドをやってみたい、ギターを響かせてみんなをワッと沸かすんだというぼっちの妄想がこの楽曲のテーマであり、まだ願望でしかないその気持ちを表現したこの歌詞は結束バンド以前のぼっちの心情・欲望を色濃く表している。ずっと想像していた未来、それは結果的に叶っていく事になるが、そんなものはまだ分からないからこうなりたいってことを歌詞に封じ込めていく。


2. ひとりぼっち東京


10月リリースのシングルの2曲目に収録されていた楽曲。ここでも2曲目となる。先行で音源化されながらもアニメ本編に起用されないという本当にB面的立ち位置の楽曲となった。大体目立つ様なシングルやアルバム先行曲の様な攻めの姿勢の楽曲より、より深掘りしていくとB面の方が好きになるパターンが多かったりするが、ご多分にもれずこの曲も格好良い。"青春コンプレックス"もダークトーンから後半にかけての勢いが出ていくが、この楽曲は冒頭のアルペジオからギアが上がるイントロで、胸を掻きむしりたくなる様なエモーショナルな1曲。そのイントロ~Aメロのメロディのソレが何となくエルレの"風の日"だったり、"Insane"、"Wannabies"、"Can You Feel Like I Do"の様なイントロのアルペジオや中腹のメロディアスに響く楽曲のフレーズを彷彿とさせられる。ないしはART-SCHOOLの幽玄なフレージングの楽曲の幾つかをも思い返す。
Bメロのタッピングギターの細やかさや、かき鳴らし等、1曲の中でも様々なプレイスタイルが現れる。ラスサビ終わりの開放感あるフレーズでまたもギュッと刺激される。"青春コンプレックス"で少し抑え目でクール目だったボーカルがこっちだと囁き・寄り添いの様なところから歌い上げるスタイルになっている。

"誰もが孤独を抱えている"というテーマの歌詞だが、これは先行してシングルがリリースされた段階ではぼっち自身のこととして捉えられたが、アニメのストーリーが続いていくうちにメンバーそれぞれにも何処か陰や人に知られず闇を抱えているということが分かり、ぼっちだけじゃなくそれぞれの孤独を共有する様な歌詞だったというのが分かる。まだ言えないけど私には夢があるんだよね、と語る虹夏ちゃんのセリフなど、そのストーリー自体がそのまま歌詞に反映されているのも徐々に追いかけていくうちに分かるだろう。
"ひとりじゃない"、孤独を持ち寄りあった4人が集まったことでそれはもう1人だけじゃ無い、4人で進んでいくんだという決意とそして孤独への寄り添いという優しさも感じさせる歌詞だ。

少し気になったのは言葉のチョイス。基本的にはぼっちが作詞を行うというスタイルで楽曲制作を行なっている(という設定だ)が、彼女からは出て来なそうな言葉が詞として乗っかってくるということ。これからの楽曲でも幾つか出てくるだろうが、多分これは他のメンバーも作詞に参加して作り上げたということだろう。ハッピー、ラッキーと言った言葉は1人で考えている時は思い浮かんでこない気がする。"いくよ? せーの!"とかは喜多ちゃんがその名前故に断りそうなのに、ここに差し込まれているのはリョウ先輩が"良いね"とか言ったからかもしれない(だとかそういう妄想が捗る。。。)。


3. Distortion!!



打って変わって冒頭のアップテンポ感から全体にかけて盛り上がっていく。暗めな楽曲の中が続いた後にテイストがキャッチーな楽曲が入り込んできてより映えてくる様な立ち位置の曲順。ある意味それは違和感にも感じるが、このアルバムに関してはその対比を味わうものなのだろう。人のテンションの上がり下がりを表してる様なものと言っても過言ではない。

タイトル通りディストーションを通したギターが鼓膜に伝わってくる様なサウンド。サビでの転調からのアグレッシブさにこちらも呼応していく。途中のクラップハンズパートだったり、ライブでの盛り上がりを意識したアレンジと、中腹のギターソロ、Cメロで一瞬出てくるほんのちょっとだけ寂しげなフレーズ(なんとなく銀杏BOYZを想起させられた)等ポップなサウンドの中にも様々な仕掛けが入っていて構造が複雑になっている。自然に聴けるから分からなくなっているが、昨今のポップスはこの楽曲同様に複雑さを孕んでいるのだ。ひとつひとつを掻い摘んでいくとどうなっているのか分からなくなってしまいそうだが、それを1つに纏め上げられるアレンジ力の高さに再度驚かされる。

ギターを弾くこと、エフェクターやアンプを通して出てきた音でのワクワク、そう言った楽器やバンドを始めた頃の原体験みたいなものを詰め込んだ歌詞が青く見え隠れする。最初に感じたそれがどういうことなのか、それを分かりたくていつまでも追い求めてしまう...そう言った歌詞がダイレクトに響き渡る1曲。


4. ひみつ基地


続くこちらもアグレッシブに展開していくアッパーチューン。快活な楽曲に軽やかな風が吹き抜ける様なサウンド。サビのうっすら流れるコーラスがいい塩梅にそこに作用している。ちなみにコーラスはほとんどの楽曲で山田リョウ、つまり水野朔さんが歌っている。

タイトルはぼっちの作業場でもある自室のことを秘密基地として例えている。ただただギターをかき鳴らした日々、自分で動画を撮ってアップしていったこと、そして結束バンドの為に歌詞を書いたり楽曲の練習をしていたこと...そう言ったこれまでの、そしてこれからも続く自分の生活と自分を育てる居場所についてのことを歌にした歌詞。学校や外で嫌なことがあってもそこに帰ってくれば自分のギターがそこにあって、いつまでも好きなだけ鳴らしていれた。好きな曲を聴いていられた。大切なことはそこで学んで、他人の干渉を気にせずにいれた (動画の評価とコメントは気になるけど)。もしかしたらぼっちにとっての秘密基地だったそれは今では結束バンドそのものを表しているのかもしれない。自分の部屋から飛び出して出会えたそのものを自分たちだけのものにしていく、という解釈も出来る。
初期衝動を模した"Distortion!!"にも歌詞の面では通ずるものがある。その"Distortion!!"はKANA-BOONのメンバーによる書き下ろしだが、この楽曲はそのKANA-BOONを意識した様なアプローチを図るテイストが散りばめられたサウンドメイクとなっている。


(あとこういうテイストといえば...なバンド。彼らもアニソンを多く手掛けているし、アレンジや演奏のアグレッシブさも楽曲へのインフルーエンスとも呼べそうだ。)

2番の"だめゼッタイ"のキュートさは喜多ちゃんならではのリリックなのかなと。歌い回しもアッ...となること請け合いだ。
全体的に自然に歌ってる様なスタイルというか、誰かに話かけているような歌い回しになっている。ここの場所が落ち着くし、ここでずっとやってきたんだよと説明してくれてるかの様だ。



(歌詞に出てくる"自由意志"、たまたまなのか狙ってのことなのかは分からないがこのSOFTTOUCHの楽曲タイトルと同様のもの。そしてこの楽曲はゴッチによる共同プロデュースのもので、尚且つゴッチの自主レーベルであるOnly in Dreamsからもリリースされている。偶然にしては出来過ぎているような気がしないでもない。)


5. ギターと孤独と青い惑星


アニメーションの中で初めて制作された楽曲。ぼっちが自分の思いをどれだけ表現していいのか迷いながら書き上げた一作。2曲続いてキャッチー目なものが続いた中、再度クールなものに回帰していく。この流れで改めて聴くと小細工無しというか、多様なアプローチをしているわけではなく、純粋にバンドのみの演奏を鳴らす1曲だなと。比較的シンプルなアレンジングながら芯があるサウンド。最初に結束バンドとして作り上げたというのが、ほんの少しだけギターの重なりが甘かったり、ドラムの主張が強めのミックスであったり(そもそも演奏のパンチが強いのだが)という点からも伝わってくる。それでも十二分に出来上がってはいるし、そのアンバランスさが結束バンドらしい部分なのかもしれない。フィードバックノイズで始まりフィードバックノイズで終わるというループするような仕様がニクい。

高音や和らぎをも感じさせていたボーカルだが、こちらにはキレがありこちらに刃を向けてくるかのようだ。喜多ちゃんという存在の意識下を排除させるようなロウが効く声でぼっちの思いの丈を歌い上げる。聞こえてくるのは弱さの裏返しで強気にも見える歌詞。自分の経験を活かした歌詞だからギターのことを内容にしているし、自分がどんだけ1人でやってきたんだということをまざまざと見せつけてくる。ちょっとクサいセリフ回しというのが嘗てノートにしたためてきたものとも通ずる部分であり、そこからふと我に返るような描写で相反する感情が鬩ぎ合う。ぼっちの中のエゴイズムが爆発しそうでギリギリ耐えている自我を上手いこと昇華したリリックだ。

偶然か必然か"惑星"という楽曲がアジカンにも存在していて、こちらも同様に自分自身を奮い立たせるような歌詞が登場する。意識しているのは間違い無いだろう。


6. ラブソングが歌えない


続くこちらも再度灰色寄りなロックチューン。冒頭の硬派なロックテイストの刺々しさ、分かりやすくほんのちょっとだけダサ目なフレージングが流れるイントロからAメロで青い感覚に変わる。そのAメロは"ひとりぼっち東京"のソレと同様のもので、フロアタム連打のドラミングは前曲からの流れを引っ張ってきているように見える。Bメロの言葉の当て方やサビの繰り返しのフレーズ等キャッチーさや印象に残るような展開が際立つ。最終的にはそのイントロのフレーズが効果的に映えるものとなる。
カッコいいとダサいは表裏一体というか平行線上に並んでいるようなもので、人によってその捉え方は様々だ。ちょっとしたエッセンスやアレンジでダサくもなるしカッコ良くもなる。この楽曲はどちらとも取れるそれをカッコ良い側へと引っ張り上げたような楽曲だ。こういうアプローチのものを聴いた記憶があると思っていたが、その既視感はVELTPUNCHと同様のものだと気づいた。

(テイストとしてはこの楽曲にも通ずるようにも思える。)

そしてドラムのフィルの入りや細かなアプローチはKANA-BOONの"シルエット"を彷彿とさせる...というよりこの楽曲から引用してるのかもしれない。パターンをそのまま持ってきているような部分が幾つか感じられる。ここに於いてもやはりリフレインというか、どうしてもその系譜の匂いは拭い切れない、いや敢えてその匂いを纏わせているのだろう。


(改めてKANA-BOONを聴くと本当にアジカンフジファブリックといったメジャーフィールドでパワーポップを表現していった先駆者たちの影響をとてつもなく感じさせる。メンバーの血肉になっているのだなと理解出来るし、そのフィルターを通した上での展開やポップサウンドに昇華しているのだと見て取れる。)

こちらでも歌詞に"秘密基地"と出てくるが、歌と歌の繋がりを感じさせる。様々な経験を部屋で重ねてきたけど、そんな自分なんかがそんな愛の歌やら恋についてなんて歌えるもんか、と投げやりにも見えるような歌詞だ。恋愛ソングを歌わないといけないわけじゃない、でも歌わないとダメなのかなと迷いすらも薄ら見えてくる。それでも自分の伝えたいこと、見えてる景色を伝えればいいんだと自分自身を律しているようにも見える。
ある意味恋愛だけではなく流行やそれへの反応に対するぼっちの思いかもしれない。無関心では無いけれど自分のことや周りしか分からないし、そんな遠いことなんて全てを推し量れるわけじゃない、分かることだけを分かっていたい、それを"ラブソング"というものに例えているのだろう。メッセージ性? いや必要なものはそういう共感じゃなく自分の気持ちだけだよ、全員に伝わるかなんて分からない、でも自分はこうなんだと表現を続ける、という決意表明のようにも見える。


7. あのバンド


前曲のアッパーさから続く様にこの曲へと繋がる。四つ打ちビートながらも前のめりになってしまうようなテンポ感で攻め立てる。
ギターの暴れっぷりは随一というか、横の振れや動きを感じるようなフレーズが飛び出してくる。ベースの低音のうねり、ゾクゾクするようなドラムの打音、それぞれのパートが主張を激しく放つこのサウンドは一瞬のズレが命取りになってしまいそうな程だがそこはバチッとハマりこちらの鼓動と身体を揺れ動かす。
この感覚は9mm Parabellum Bulletと同等のものだ。彼らのギターワークもハードロック/メタリックであったり、時にダンスナンバーを演じそして哀愁漂うフレーズと何処か懐かしさを思い起こされるようなものを表現しているが、こちらもソリッドに突き進む中でそう言った要素が随所に感じられる楽曲だ。

恋愛ソングなんて歌えない、という前曲とも再度印象が被るが、自分が好きだと思っているバンドや楽曲と周りの人が聴いているものとのギャップ・乖離を歌のテーマとしている。
流行ってるソレは自分の肌には合わず、それでも周りの人には救いになっている。良いと思えないものにも誰かには糧となる音楽、でも私には私に合うものしか聴けないし、自分の中の想いみたいなものはそんなものじゃ移ろいでいかないよ、自分の表現は曲がらないんだと改めて確認するような歌詞。
時に他者の介入はあるかもしれないが自分の物差しや価値観は人に押し付けられるものではなく自分自身で決めることなのだから。


8. カラカラ



そしてその9mm以降という意味での残響レコード的解釈の展開はこの曲へも引き継がれることとなる。様々なバンドが変拍子、マスロックへの傾倒を感じさせた10年程前のシーンの移り変わりを彷彿とさせる1曲。要するにこの楽曲を提供したバンドの当初の印象ということになるのだが。。

スネアの連打〜お祭り風のリズムを叩き上げタム回しからAメロのシンプルなビートへと流れるドラム、呼応するようにけたたましく鳴り止まぬギター、蠢きのようなフレーズからスラップで特徴づくベース、と冒頭からアグレッシブな展開がそれぞれのパートで行われ信号みたいなフレーズからサラッと抜けていくAメロ。しっとり~ノイジーを行き来するテンポ感、テクニカルながら最終的にはポップなメロディに昇華され聴き心地の良い部分に持っていく。

こちらは山田リョウによる歌唱の楽曲。喜多ちゃんのどうにも変貌出来る声とは違い、艶のあるような声が全体をほんのりとセクシーに変えていく。時折現れる可愛らしさみたいな節回し、残しみたいなものがスパイスになる。
"君が眩しいから私は影になれる"...他の3人の才能を見抜いているし、その才能のおかげで遺憾無く自分らしさも溶け込ませながら打ち出せるというリョウらしい一節。と言いながら何にも考えてなさそうな感じの歌詞もあるわけで("前借りしてるこの命"ってお金のことだろうな...とか、1サビ終わりの"ヘイヘイヘ~"のコーラスだとか)、何を思案しているのかというのが見え辛い。そういう意味では山田リョウという人間は良くも悪くも影なのかもしれない。確証を持てないながらも進んでいく歌詞も彼女の平坦では無いこれまでとこれからの歩みを表しているようだ。
ぼっちの描く孤独感とは別ベクトルのものというか、韻の踏みや抑揚の付け方、のうのうと生きてる自分に対してそんなに悪くないよと肯定してる部分等、独りでいることの考え方捉え方は人それぞれだと感じさせる。実際人付き合いが出来ない人間では無いし、抜けてる部分が目立つだけでバンドへの向き合い方は人一倍なわけで、なんだかんだ縁の下の力持ち的な立ち位置の彼女らしい歌詞にも思える。

ラスサビ終わりの"スカート揺れる〜"以降の展開で、ヤなことそっとミュートや、RAYの様なロックソングを主としたアイドル達のことを思い出したのは僕だけではないはずだ。
コーラスの入れ方や"きっとやれるわ"とどちらともつかない歌詞の締め方で終わらせる部分等は中嶋イッキュウ氏感溢れる要素だと思う。オケのみなら本当にtricotの楽曲そのもので、特に初期のフルアルバム("T H E", "A N D")に近い空気感が内包されている。


9. 小さな海


何も出来なかった自分への自責の念を持ちながらも、これからの自分に少しでも期待をするという内容の歌詞。海という自分の中の器の小ささに嫌気が差しながらその中に深く潜り込み沈んでいく心持ちを喩えているが、最終的には少しずつ浮上し希望を持てるように変化していく。それはぼっちの気持ちの移り変わりを表すもので、塞ぎ込んでいた所から扉が開けて空気が入れ替わっていくように、冷たさが段々と解けて温かみを感じさせる内容。"村人A"だとかそういう歌詞から歩みをRPG風に表現しているというのが現代のラノベやゲームオタクの様な部分も感じさせナードさは抜け落ちていないのもミソだ。ヒーロー/ヒロインにはなれないけれどそれでも私は...。
最後の"いつかまた遠くで会えたら手を振り返して"の件は"藤沢ルーザー"への返答なのだろうか? (三番線のホームから 今 手を振るよ) だとすればあの時藤沢駅にいたリーマンが手を振っていた群衆の中にはぼっちが居たということになる。設定へのオマージュも感じさせるニクい演出だ。

海の底のようなスーンと沈んでいくような繊細で青いメロディが段々とその色味を濃くしながら広がっていく。1サビ終わりのパッと開けるようなバンドサウンドが入り込んでくる展開にクッと心を掴んでいく。他の楽曲が比較的Jポップスマナーの様なAメロBメロサビ、AメロBメロサビの繰り返しでその後Cメロ3サビないしは3サビのみで展開するが、この楽曲に関してはAメロBメロサビと来て、AメロBメロ、Cメロから2回目のサビで終わると言った展開をする。アルバムの中で2サビまでで終わるのは"ラブソングが歌えない"とこの楽曲のみとなる。

最初はKOTORIとかのエモリバイバル影響下の現行ギターロックオマージュなのかなと思っていたのだが、全体的なメロディの感覚的にはtacicaの"ドラマチック生命体"や"フラクタル"っぽいなと。近しいバンドの楽曲を挙げ始めたらキリがないが、世界観を構築するようなサウンドメイクを行うようなバンド群との共通項を感じさせるものとなっている。


(4:55~ ドラマチック生命体)

それで1サビ・アウトロのドラムロール風のアレンジングや最後の余韻の残し方は"飴玉の唄"及び"orbital period"のオマージュなのだろうか。後にも現れるがやはりBUMP OF CHICKENの影響というのはこの世代にとってはとても大きいんだろうなと思う。世界観という意味でもバンプから引き継ぐようなそれと同様の印象付けがある。


10. なにが悪い



そういった余韻をぶつ切りして唐突に始まる豊潤なポップナンバー(アルバムを聴いていてたまに感じる曲間の繋がりへの違和感まで真似しなくても良いものを...)。ただ、メロディの甘辛い感覚と虹夏ちゃんの声の相性の良さがとんでもなくハマっている。ここに来てこういうテイストもあるのかと驚くが、しっかりとポップソングも消化してますよというメンバーの気分転換的な向きのある楽曲というか。たまには私が歌うでしょ、と虹夏ちゃんが歌っているのもそういう印象を強くする。でもって他のメンバー以上に声のキュート感がバチッとハマってくるわけでこの曲にピッタリだと頷ける。

古き良きロックテイストにギターポップテイストのフレーバーと甘いパワーポップサウンドを織り交ぜたキャッチーな楽曲。ホールトーンの転調でサビへと移行して、更に広がるポップサウンド。タンバリンやうっすらとシンセリードの音色が響いて、バンドサウンドのみで構築していた他の楽曲との差異を産んでいる。そんな中でも1番のBメロの謎のギター進行でギョッとしてしまったり、敢えてというかちょっと変態っぽい独創性があるのもジャパニーズパワーポップ感を増していく部分。


(楽曲を提供した北澤ゆうほさんが所属していたthe peggiesを改めて聴いていると印象以上にパワーポップ色が強くて驚く。アニソンのイメージが先行してしまいそのポップさだけが残っていたが、実際にその手の影響下だったのかと。。。)


(いや、、、これ結束バンドのサウンドそのものじゃないか!と更に驚くなど。)

そんな中で歌っているのは一見シンプルな青春ソングに見せかけたようなリリックだが、聴いている曲から受けた衝撃やドキドキを綴るものとなっている。他の人に自分が聴いている曲を勧めたい、けどそこから先に進められない、というぼっちの気持ちも描かれコミュニケーションに慎重になっている様も感じさせる。聴いた瞬間のこの気持ちが止まらない、みたいなものは神聖かまってちゃんのあの楽曲ともリンクしていく。

最終的には結束バンドでの日常というか、今の自分が受けた衝撃を歌に変えて鳴らしたいという素直な気持ちが描かれる。こういう日々も青春って言って何が悪いんだ、という意固地な部分が純情な若さをも思わせる。
素直になりきれない、みたいなことを虹夏ちゃんに歌わせるというのもポイントで、この楽曲は8話以降のエンディング曲として用いられたわけだが、その8話はぼっちに対して自らの夢をようやく打ち明ける回でもある。そういうストーリーとの繋がりやそういう風に素直になった後の彼女との関係性みたいな部分を感じさせるものとなっている。


11. 忘れてやらない


ここに来て青春パンク的なアプローチのナンバー。1番バンドアニメっぽい王道のテイストのものであり、及び初期アジカンのバッチバチのテイストの楽曲を彷彿とさせてくる。アルバム中トップクラスのBPMで駆け抜けていく。
ただ単に勢い任せ、ということではでなく1番と2番でAメロBメロのテイストを変えてくるアレンジに、サビでの速弾きやテクニカルかつずっとアグレッシブなギター、呼応するように動きまくるベースライン、手数の多いドラムと演奏も激しく展開していく。そんな技巧的な部分をすっ飛ばしてもやっぱりこういう分かりやすい楽曲は思わず手を上げたくなるし気持ちも持ち上げてくれる。楽しそうに歌っている喜多ちゃんのボーカルも楽曲のパワーを増していく。
ある意味これは結束バンドの"OMOIDE IN MY HEAD"となる楽曲かもしれない。イントロの音抜けの部分で"oi!!"の掛け声が聴こえてくる(気がする)。

普通ならここでポジティブな言葉が並んできそうだが、そこはぼっちらしくそんなことはなくて、自分自身のクラスでの立場だったり拠り所の無さ、特に何をするわけでもない日々の中で、周りは楽しそうに話していたり、何かに打ち込んでいる様を眺めながら、自分と世間とのギャップを歌ったもの。
"お前らは青春を謳歌してるが、私は今後の人生お前らなんかよりもっと良くなってやるからな〜! 見とけよー!"という負け惜しみというか恨み節のようなものだが、ある意味これは逆説的ポジティブソングとでも言えようか、そのネガティブを力に変えて楽曲に転換するという様はぼっちらしい歌詞でもある。"忘れない"、ではなく"忘れてやらない"という少し上からの強気な言い方にしてるのも私の方がこんな人たちより偉いし...なんてボソボソ思ってそうなぼっちの心情を表しているかのようだ。

この時期を踏み台にして飛び出していく、こんな青春クソ食らえだ。なんて中指を立てまくるぼっちの中のパンクロック。


12. 星座になれたら


ここにきてまさかのthe band apartインスパイアソング。12話で唐突なダンサブルビートが流れてきた時は普通に驚いてしまった。

マス・ポストロックのテイスト meets ファンク・ボサノバのサウンドというと00年代は特にK-PLANやNiw! Records周辺の影響は本当に大きかったわけで、そんな中でもバンアパサウンドはそれ以降のバンドシーンのみに留まらず、メンバー(特にベースの原氏)が声優の音楽作品に参加していたりなど多方面に置いても及ぼしていた。ライブハウス上がりな彼女たちはそんなテイストをも吸収しているのが窺える楽曲。

四つ打ちの一定のビート感で進みながら、細やかなアンサンブルが広げられる。ワウを通したカッティングギターのサウンドのイントロから始まり、ムーディなテイストが全体を包んでいく。ベースのスラップから飛び道具的なアレンジまで跳ねながらもボトムを固めるプレイ。(プロの演奏だから当たり前なのだが)リズムキープしながら展開を見せるものが1番難しかったりするドラムも安定しつつアクセントを仕込む。

パッと聞きは七夕に於ける織姫と彦星の話のようにも感じるリリックだが...。
バンドをずっとやりたかったぼっちが偶然の出会いからその夢を叶えてしまう。そうしてカラオケが上手いと風の噂で聞いたあの子にボーカルを頼もうとするが人当たりが良くて人気だから声かけれないな...と狼狽ながらもどうにか近づこう近づこうとする。何とかコンタクトを取れつつもそんな彼女の煌めきや華やかさに目眩がしてしまう...そう言ったぼっちと喜多ちゃんとの出会いや印象を描いた歌詞。"ギターと孤独と蒼い惑星"でも光や輝きの描写があって、そちらではそういうものへの嫌悪感を示していたが、それはただただヘラヘラと楽しそうな奴らへの淀みであり、喜多ちゃんのような純粋な光に対してのものではなかったというのがこの楽曲との対比として描かれている。
最初はそんな喜多ちゃんに対するぼっちの憧れのものと思っていたけど、12話を視聴した後だと逆にそれはぼっちに対する喜多ちゃんの想いとしても捉えられる。ぼっちから喜多ちゃんにだけではなく、ギターヒーローであるところのぼっちのプレイの覚醒やひたむきにギターを教えてくれる姿、そう言ったバンドに対する姿勢でより焦がれてしまった喜多ちゃんの想いともリンクする内容だった。というより星座というのが結束バンドそのもので、メンバーそれぞれが星であり1つでも欠ければそれはただの星の集まりというだけになる。4つの星が集まることで星座、つまりバンドになるということを示すものだ。
楽曲名の引用でどういうものからの影響があるかというのも窺える。ある意味この出会いは"業"なのだろうと。

アルバムだとぼっちのソロは難なくこなしているが、アニメ版の喜多ちゃんのリズムギター弾き鳴らしからのぼっちのボトルネック奏法でブルージー・カントリーライクなテイストに変貌しているアレンジングも良い。その変更により進行が一節多くなっているのもミソで、そちらも収録して欲しかった所だが後々販売される円盤の特典に収録予定とのことで、こちらを聴きたい人は是非円盤をチェックしよう。


13. フラッシュバッカー


(この映像を観てまたスーッと涙が出てきてしまった。ぼっちの部屋から始まり部屋のカットで終わる編集も美しい。)


青春なんてクソ食らえであったり、自身のネガティブな経験を綴ってはきたもののやはりその生活や日常からは記憶というものが残っていくわけで、そう言った断片が頭に浮かんでは消えていく。淡々と思い出しながら反芻するそれは悪いものの方が残りやすいが、上書きしていくように良いものを少しずつ刻んでいきたい。そんな願いを抱えながら朝を待つという内容の歌詞。
自分にとっての黒歴史も、その人を作り上げる要素になる。どんな経験も結局は活かされていく。ギター、ライブハウス、バンド、演奏、写真撮影、オーディション、知らない酔っ払いは別のバンドの人、野外、アウェイのステージ、違うライブハウス、文化祭、体育館のステージ、そして出会ってきた人たちと結束バンド...全ての出来事と言われた言葉をフィルム越しに鮮明に映し出されるように思い返していく。

そのタイトルから想起させるのは当然アジカンの"フラッシュバック"で、本編の1話でも嫌な思い出を思い出して"フラッシュバックがあぁ..."とぼっちがのたうち回っていたが、楽曲の空気感はこの曲タイトルと、そしてこのバンドからの引用だろう。

楽曲のテイスト的にはメジャーデビュー以降の彼女らや羊文学に通ずるところがある。昨今のオルタナティブテイストのハイブリッドのようなスタイルをもこの楽曲で垣間見ることが出来る。間奏のコーラスワークなんかも近いフィーリングを感じさせる要素だ。
しっとりとした進行にはひりついた空気、そしてサビでの開放感溢るる感覚は目が覚めるような心持ちになる。夜明けを待つように、空が明るくなっていくように、重苦しい空気が曲が進みにつれ段々と煌めいていく。グーッと重たくも響き渡るギターのフレーズ、秒針を刻むように刻々と進むドラム、ドクドクと響くベース、そして喜多ちゃんのクールから熱を感じる声とグッと込める歌い回しにまたも引っ張られる。

記憶のピースを灰色ではなく鮮やかに彩っていく。少しずつ生まれ変わっていくぼっちの心情が色付き輝き出す。そして朝はやって来る。


14. 転がる岩、君に朝が降る


そんな夜明け後に流れ出す本当の主題歌。最後の最後に4人の会話の中でスニークインして流れ出してきた時も衝撃的ではあったが、楽曲単体で聴いても本当にグッと来ざるを得ない素晴らしいカバー。基本的なアレンジや展開はそのまま引用しつつ、オクターブが変更されより青いメロディに感じるテイストへ変化している。間奏は当然リードギターを主体としたソロアレンジに変化。楽曲そのものへの敬愛を持ちながら、しっかりと結束バンドらしさを打ち出すカバーだ。
何度聴いても歌入りで涙腺を刺激してくる。そこにぼっちが、後藤ひとりが存在しているというものをまざまざと見せつけられるような節回し。演じている青山吉能さんは本人名義でも楽曲をリリースしているのだが、本人としてはもっと歌えるところをぼっちらしく抑え目にしながら歌い上げている。実際にそういうディレクションの元行われていたらしいのだが、それをしっかりと表現しききる本人の表現力の高さに打ちひしがれてしまう。


(いや歌うま...一瞬宇多田ヒカルが脳裏に浮かんできた。当たり前だがぼっちのイメージを持っているとその印象は一過性のものでしかないと分からせられる。)

個人的にも"ワールド ワールド ワールド"はアジカンに初めて触れた作品で、その当時のことを思い返さざるを得ないというか、どうしても重ねて見てしまう部分があったりする。そもそも"転がる岩~"自体がシングルとしてリリースされた楽曲で、当時から現在に於いてまで人気のある楽曲だったとは思うのだけど、そこに後藤ひとりというさらにまた分厚い感情がのし掛かってきてしまった。別でキャラクターのことを描く楽曲なんて必要ない、だってこの楽曲が後藤ひとり、そして作品そのものを表しているのだから。

単純に良い曲だと思っていた原曲ですら、より一層感情を揺さぶられてしまいそうになる程の力がこのカバーには存在している。本当にありがとう後藤ひとり...。






作品に触れてしまった自分自身のバイアスがかかっている点もあるのだろうが、単純に良いアルバムだと思う。これはキャラソンを集めたアルバムです、ということではないクオリティの高さがあり、それ故にこれが女子高生が制作した音源かと言われるとそこには疑問がありながらも、このアニメをより良いものにする為の仕事具合というか気合の入り方が違いすぎる。
全体を通してギターソロやリードギターの目立ちがあるのは、ぼっちのプレイを強く押し出す様なアレンジとミックスにしているからだろう。それと四つ打ちビートが大半の楽曲に起用されているのもアジカン以降の音楽性を孕んだバンド達との共通項で、そういう時代性を反映しているのが楽曲によりリアルな感覚を持たせる部分でもある。
これは特にほとんどの編曲を手掛ける三井律郎氏の手腕はとても大きいのだと思う。作詞や作曲で芯の部分を決めていくのは大切だが、どういったテイストに仕上げるか、どういうサウンドに変化させるかというのが編曲の仕事であり、そこがハマらなければ良いものには成り切らないのだ。ちゃんと把握していなかったのだが、彼はメンバーそれぞれがプロデューサー集団でもあるStereo Fabrication of Youthのメンバーでもあり、そのメンバーも在籍するLa La Larks、そしてLOST IN TIMEでもギターを弾いていたらしい。普通にサイトのプロフィール欄に記載されていたのに気付いていなかった。その手腕が別の形でも活かされているのだなと。


(色々書き連ねたけど三井さん自身がメンバーとして関わってるこれの方がひとりぼっち東京や小さな海の元ネタかもしれない。。。というよりぼっちのプレイスタイルは三井さんのギターの音そのものだなと。まあ本人が演奏しているから当たり前なんだけども。)


これまでの日本のバンドを聴いてきた人には懐かしさもあるし、かといってそのノスタルジーが全部に乗っかっているというわけではなく現代のサウンドへと昇華され新しいものにも転換されている。ある意味ギターロック見本市というか、ここからどのバンドを聴いていこうかというものの参考にもなりうるアルバムだ。

本当にぼっちは自身のネガティブに対する解像度が異常に高い。いや他に作詞をしている人が多数居るのは知っている、知っているけれどそれを踏まえた上でもあまりにもリリシズムに富んでいると思う。10代らしい学校をテーマにした歌詞は勿論のこと、自身の心境の変化や揺れ、不安要素をここまで表現出来るなんて。所謂"鬱ロック"バンドにも通ずる悲しみ・投げやりさも時にあるが、完全なる絶望ではなくもう少し前を向いている様な歌詞が多いのも、このバンドを通しての経験が歌詞に反映されているということだろう。

それぞれの楽曲を歌う4人及びそれを演じる声優の皆さんの歌の上手さ、そしてその表現力の高さに驚かされる。特にメインを張る喜多ちゃんこと長谷川育美さんのそれぞれの楽曲に合わせるボーカリゼーションの高さよ。そもそも喜多ちゃん自身がカラオケが得意という設定で、長谷川さん自身は実際にはキャラソンであったり自身の楽曲ではロックソングをあまり歌ったことがないということだったのだが、シンガーとしての強さ、芯のある声、そしてキャラクターを通した上での表現があまりにも素晴らしい。同インタビューでも語られているが、喜多ちゃんというフィルターを通しつつも、そのキャラクターをあまり意識せずに歌い上げたからこその音階幅の広いものになったという。

本来であるならわざわざ劇中に使用されない楽曲まで制作を行わなくても良いはずで、既に使用された楽曲を纏めたミニアルバムくらいのアイテムとしてリリースでも良かったはずなのに、それでも別の要素すらも補完してフルアルバムでリリースさせてしまうというのがあまりにもニクい。これまでの音源がシングルで、その上でアルバム収録のみの楽曲も入れてしまうという実際のリリース形態を模している。まるで結束バンドが現実世界に居るかのように。

全体的なバラエティの豊富さや、ラストの"転がる岩"のボーナストラック的な扱いを鑑みるに、これは結束バンド的"マジックディスク"なんだろうなと。"ワールド ワールド ワールド"、"サーフ ブンガク カマクラ"を経由した上での様々な色を放っていたアルバムだが、それに通ずる幅広さがこのアルバムから感じられる。アニメの1話ごとのタイトルもその2作品から取られたものが半数を占めているのも偶然じゃないだろう。
そういう意味ではSony傘下の"Ki/oon Music"から輩出されるバンドの音源と言っても差し支えない様なものだ。楽曲参加陣のアーティストがこのレーベルからリリースを行なっていたり、影響下・元ネタとなる様な楽曲をリリースしているレーベルでもある。勿論それ以外の要素も多分に含まれているが、何を隠そうこのレーベルからASIAN KUNG-FU GENERATIONがリリースされているのだ。それに倣って結束バンドもそれに近いところからリリースされる、という予想が出来るのもまた縁だろう。実際にリリース元・版権元はAniplexだが、Aniplex自体がそもそもSony傘下の会社であるらしい。


改めて1曲ずつについて考えてきたがとんでもないアルバムだなと思う。このアニメを観て、そしてこのアルバムを聴いて影響を受けバンドを始めてしまう人々が現れるのも時間の問題だろう。それくらいの衝動とパワーが詰まった作品。寧ろ早く出てきて欲しいと願うばかりだ。陰キャならロックをやれ? いや、これを聴いたなら誰しもがロックをやれ、だ。