melancholy youth

since 2016.6

7/2

覚え書き。メモ。


Twitterの規制で情報を追えなくなってしまった。基本的にライブ情報や新たなリリースの報をTwitter上でキャッチすることが多く、最近は疎かだがライブの纏めにしてもツイートをブックマークしているので纏める際に規制があっては滞りなくすることが出来なくなってしまった。ただでさえ全然間に合っていないのに。そろそろマストドンやら別のSNSへシフトすることも考えるべきか...。まあそれは追々考えよう。

そして規制されるとemotive sundayも更新がストップすることになってしまう。そもそも今すらもこのアカウントに意味なんてあるのか...?という感じだが。週1, 2回更新に変えてから更新しなくては...という義務的な側面は減ったから心持ちはいいのだけど、それでも出しておきたい情報も溢れ出てしまう。難しい。PSTEやSnow is Here.のように別でサイトを開設したほうが早いかなとも思っていたりする。
時にアカウントを譲度した方がいいとも考えてしまうが、多分そうしたらemotiveどころかディストロも何もかもの気持ちが切れてしまうんだろうなと思ってそれは出来ないと思い留まっている。



こう書いてみて思ったけれど、良くも悪くも(良くは無いな...)SNSに縛られてるんだなと感じる。優先順位が上がり過ぎているのも問題だとは思う。ある意味良いきっかけなのかもしれない。だからこういう文章に纏めようということに繋がっている...いや大したことないんだけども。

それにしても時が経つ程に時間の使い方がヘタクソになっているような感じで、気付いたらもうこんなに時間が経っている、というのがこの数年で増えていてなんて無駄に無碍にしているんだろうなという感覚。ならこんなことも書いてる時間もどうなの。無駄にも意味があると誰かが誰もが言うが本当なのかは分からない。遊びが無いと破綻を起こすので何にでも余白が必要というのは分かるんだけど。

毎回同じような愚痴ばかりだな。良いこと面白いことを考えておきたいんだけどな...なるべく。




4月頃から気になった楽曲をメモ程度にプレイリストにぶち込んでいた。と言ってもこれが全てではなくて出来る時にやってる感じなので網羅出来ている訳でも無いし、偏りもスゴいけれど振り返った時にこういうのも大事だろうということで取り敢えず。今のところ25曲くらい入っている。




日々何をしているんだろうな...という気持ちは常々感じていることで、こんなことに、行為に、やっているそれぞれに対して疑問が湧いてきてしまうけれど、それでもやっていくしか無いんだよなと思ってる最中にこんな曲が上がってきた。小さい頃の夢と現在の姿を描いたPVのテーマこそユニークだけど、同様にギャップを感じながらもそれでも突き進んでいくという歌詞にああ、同じように感じていたんだなとなんか安堵というか、自分だけじゃないだなと思えた。

幼稚園か小学校くらいの時は本屋さんになりたいとか思ってた気がする。レコ屋やりてえと思いながらディストロをやってる節はあるし小売店で働きたいみたいなのは今もあんまり変わってないんだなと思う。

9月にまた地元に来てくれるので都合付けて観に行きたいところ。

なんとなくラスサビのボーカル終わりで或る街の群青の"光だって闇だってきっと"のコーラスを思わず口づさんでしまうな。